浮気調査の口コミ体験談:主婦の景子さん
家族構成 夫30代、私30代、子供なしの2人家族です(浮気発覚当時)
独身だと騙して浮気をしていた夫を徹底的に説教!
浮気に気づいたきっかけはメールと急に増えた休日の外出!
ある日、夫が携帯電話を忘れていったので、興味本位でどんな
メールをしているのか見てみました。
すると、なぜか私の名前が義姉の名前で登録されていることに
気が付きました。
「これはおかしい」と思い、過去のメールを全部見てしまいました。
この頃夫は、特定の男友達(会社の同僚で既婚者子持ち)と休日
遊ぶことが多くなっていました。
相手の人はお子さんもいるのに、奥さんに嫌がられていないのかなと
心配していたので、もしかしたらそれは嘘だったのではと
すぐに思いました。
浮気の証拠は、ハートマークの入ったメール!
夫の携帯の中に怪しいメールを見つけたので、その相手の
メールアドレスをすぐに控えました。
浮気とは決まったわけではないのですが、そのメールの中に
ハートマークがたくさん入っているのがどうしても気になりました。
普通、既婚者の人にハートマークのメールを送る女友達なんて
いないはずで、いかにも怪しかったのです。
本当に浮気なのか確証が持てず、興信所に調査を依頼!
始めは、夫が会社から帰ってきたらすぐに問いただそうと思って
いました。
けれどもし浮気をしていても、このメールの内容だけでは
素直に認めないのではと、だんだん不安になってきました。
夫が「浮気じゃない」としらを切られてしまえばそれまでです。
何とか他に、決定的な証拠を見つける方法はないかとしばらく
悩んでいました。
数日後、友人に「もし旦那さんが浮気してそうだなと思ったら
どうする?」と冗談交じりに聞いてみました。
友人は「探偵に調査してもらう!それで証拠をがっしり押さえて
もらって、それを叩き付けてやる。もちろん慰謝料も取るわよ!」
と笑いながら言いました。
それを聞いて、そういう方法があるのかと思いました。
探偵に調査を頼むだなんてそんなドラマみたいなことを
まさか自分がする日が来るとは夢にも思っていませんでしたが
物は試しと頼んでみることにしました。
この頃には夫は毎週末、友達と遊んでくると言って出かけるように
なっていたため、探偵の方には休日だけの調査をお願いしました。
すると思っていたとおり、男友達と遊んでいたのではなく
浮気相手とデートしていたのです。
拍子抜けするくらいあっという間に、決定的な浮気の証拠を
掴むことができました。
夫に証拠を突き付けて、説教!
ある日、会社から帰ってきた夫を問い詰めることにしました。
浮気を知った直後はとにかく悲しくショックでしたが、
だんだんと怒りに変わっていきました。
ですので最初から浮気調査の証拠は出さずに、じわじわと
追いつめてやろうと考えていたのです。
まず「携帯を見たんだけど、どうして私のメールアドレスが
義姉のアドレスになってるの?」と聞きました。
すると夫は焦ったのか、ごまかそうとして慌て始めました。
さらに「ハートマークの多いメールアドレスの相手は誰なのか」
そして、「よく同僚の男友達とあっているが、本当に会っているのか
本人に電話で確認してもいいいか」と畳みかけました。
しかしそこまで言っても夫は
「その女性とは何回か遊びに行っただけで、体の関係は一切ない」
としらを切りました。
控えていたその女性のメールアドレスに、〇〇の妻だと
きちんと名乗った上で、どういうつもりで夫と
付き合っているのかメールをしました。
すると相手の女性は「〇〇さんが既婚者とは知らなかった、
知っていたら絶対付き合ったりしなかった」と返信してきました。
なんと夫が、相手の女性を騙していたということが
判明したのです。
私の怒りの矛先は、一気に夫に集中しました。
ここで探偵からもらった証拠を突き付けたところ、
夫は非常に驚き、ここでようやく浮気の事実を認めました。
未婚の女性を、既婚していることを伝えずにたぶらかすとは
女の敵!ということで、夫をこっぴどく説教し、その女性に
謝罪するように言いました。
夫はその女性から罵倒されたと、私に弱々しく報告してきて、
私ときちんとやり直したい、二度と浮気はしないと
土下座して謝りました。
私は「次こういうことがあればその時は離婚です」と
通告しました。
浮気騒動のその後
結局離婚せずにやり直すことにしました。
最初は浮気相手の女性からも慰謝料を取ってやると思って
いましたが、夫に騙されていたのだと思うと、請求する
気持ちにはなりませんでした。
その代わり、夫には慰謝料がわりに、お小遣いを大幅に減額して
外で女遊びができないようにしました。
今では夫との間に息子が生まれて、現在は幸せに暮らしています。
あの浮気騒動のとき、確実な証拠を持って旦那を追及できたことで、
完全に私がこの家の決定権を持てた気がします。
苦い思い出でもありますが、今思えば良い経験だったと思います。